• 集合的無意識。…全く主観的かつ個人的であるにもかかわらず、その実質は集合的である。すなわちそれは、多くの人々に生じる一般的なイメージや観念であり、したがって、、個人は、それを通じて他の個人と、無意識的に混じり合っており、別の言葉でいえばまだ区別されておらず、個性化していない。…自らと不一致であることは、まさに、そこから逃れ出たいと願う神経症的な耐えがたい状態にほかならない。だが、この状態から脱するには、まずこれこそを自分だと感じられるようになり、そのように行動できるようにならなければならない。そうなるとき人間は、はじめのうち茫然とした、頼りない感情を抱くであろう。だが、前に向かって発展していくにつれて、しだいに強くなり、明晰になる思いがするはずである。」(ユング「自我と無意識」p.181)
  • 「マナ人格という、その絶大なる威信で自我を呪縛するにたるような優生形質でもって反撃してくる。それに対して身を守るには、無意識の諸力にたいして自らの弱さを頭からみとめてしまうほかない。そうすれば無意識に対して力をもって退行することにならず、したがって、無意識を挑発しないですむ。…無意識を人格的なものと考えているかのように思われたりしたら困る。無意識は、人間的・人格的なものの彼岸にある自然現象から成り立っている。われわれの意識だけが「人格的」なのである。」(ユング「自我と無意識」p.195〜196)
  • 「自己が何か不合理なもの、定義不可能なものであって、自我はそれに敵対するわけでも隷属しているわけでもなく、それに依存しつつ、ちょうど太陽の周りを回る地球のように、その周りを回っているのだ、と感じ取られたとき、個性化の目標は達せられたことになる。」(ユング「自我と無意識」p.205)